ごあいさつ
敬愛の精神を引き継いで
理事長 堀田 一善
伏木保育園は、大正15年4月に富山県における最も古い民間託児所として発足し、爾来90有余年の永きにわたり地域の人々のご理解とご協力およびお励まし、更には各方面からのお力添えを受けながら今日に至っております。
発足当初は、当時、乳幼児を抱えながらも中仕として、風雪も厭わず港湾労働に従事せざるを得なかった女性達の苦難を些かなりとも軽減し、子供たちの健康と安全を確保することを第一義として、地域婦女会員の協力を得ながらその歩を進めて参りました。
そして昭和の初期にはすでに副食給食、乳児保育を開始し、更に、昭和10年代半ばには小児健康相談所や婦人授産所を併設して母子の保健と養護のための活動など幅広い啓発運動も行って参りました。小児健康相談所や婦人授産所の営みは、後年、県市や婦人会に移管統合されることになりましたが、昭和23年に児童福祉施設として認可され、昭和33年に社会福祉法人 伏木保育園として今日に至っております。
この間、伏木保育園の活動は広く社会に認知されて、昭和17年には天皇名代として徳川侍従長の来訪と金一封の拝受、昭和22年には高松宮の来所、昭和28年には全国保育事業大会における厚生大臣賞優良賞受賞といった栄誉にも浴して参りました。
こうした伝統の下、これまで歴代の園長、主任保育士、保育士、栄養士、調理員、嘱託医の皆さんの一致した協力と弛まぬ努力も相俟って、これまで数次にわたり公開保育を実施し、またその成果をまとめた保育研究誌を発刊して、保育園としての実績を世に問うと共に、一層の進歩を求めて日々の研鑽を積んで参りました。
斯かる活動の礎となってきた当園の保育理念は、端的に表現すれば、「敬愛の精神」です。ここで言う「敬愛の精神」とは、当初の「保育に欠ける乳幼児の保育」という託児所設置に掲げた目標にのみ止まるのではなく、時代の進展につれ幼児教育期を通じて心身の成長に伴う個の自立と他者の尊重へ、端的に言えば、次代を担う子供たち一人ひとりの個性を大切にしてその長所を伸ばし、自ら考える力を涵養し、自由を大切にすると共に多様性を理解して受け容れる広い心を育成して、相互に慈しみ合いながら豊かな心と他人への優しい眼差し、思いやりの気持ちを育むことに専心する精神のことであります。
伏木保育園では、全職員がこの「敬愛の精神」を共有して、子供たち一人ひとりに潜在する能力を尊重してその伸長を願い、社会性を涵養することに尽力しております。そのために、全職員が自己を律して研鑽を積む努力を惜しむことなく、共に相協力して研修に励みつつ各自の資質と保育能力そして幼児教育能力を高めることに真摯に努めております。
尚、伏木保育園では平成29年6月に理事長が、そして平成30年4月に園長が交代し、幾多の伝統を受け継ぎながらも、父母会の皆様や地域の人々による協力と見守りに支えられて、これからの時代に即した保育・教育活動を求めて新たな歩みを踏み出しましたことをご報告し、併せてご挨拶と致したく存じます。
福祉の志と子どもへの敬愛の心を忘れずに
園長 西尾知子
平成30年4月より、社会福祉法人 伏木保育園の園長に就任致しました、西尾 知子と申します。
私は、この伏木保育園で、保育士(保母)、主任保育士として30年余り勤務させて頂き、理念である『敬愛』の精神で一人ひとりの子どもを大切にし、深い愛情で関わる事に努めてきました。
そして、安定した情緒の下で、一人ひとりの子どものあるがままの姿を受け入れ、その姿を原点(出発点)として、その子にとって何が大事か、今、何を必要としているか、どうしてあげるべきかなどを常に問い続け考え、遊びや生活を通して、成長の援助となるよう心がけ、保育をしてきました。
子どものしぐさや言葉にしっかり耳を傾け、深い愛情で向き合い、丁寧な関わりをする事で、子どもは大人を信頼し、情緒が安定し、愛されたように自分を大事にするとともに、他の人も大事にして、温かい関わりが出来るようになっていくと信じております。
又、子どもは自然の中で育つことで、心身ともに成長していくと思っております。国分浜や二上山等の地域の自然環境に恵まれる中、園庭には四季折々に咲く樹木に囲まれており、大切な乳幼児期の育ちをゆったりと温かく支え、色々な体験を通して、子ども達が伸び伸びと生き生きと育っていってほしいと願っております。
就任以来、保護者の方々をはじめ、地域の方々や多くの方々に支えていただき、お力添えを頂いています事を深く感謝しております。
まだまだ微力ではございますが、明日が待たれるような子どものための温かい保育園である事、そして、地域にとって子育てがしやすく愛される保育園である事を願い、職員一同、力を合わせ、創立時の福祉の志と子どもへの敬愛の心を忘れず、日々努めてまいりたいと思っております。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
令和二年九月一日
初代園長
堀田 くに(ほった くに)明治21年~昭和60年(1888年~1985年)
県内初の託児所創設者。伏木町で代々続く廻船問屋に生まれた。
伏木町婦女会長、射水郡連合婦女会長として婦人活動の先頭にたって活動をしていたくには、港の倉庫の軒下や石炭山の間に一日中置き去りにされている子供たちの姿を見るに忍びず、大正12年(1923年)、念仏堂(高岡市伏木東一宮)を借りて無料で子供を預かり始めた。
大正から昭和にかけては農村の疲弊が著しく、主婦たちは港で女仲仕(船の荷役)として朝5時半から真夜中に至るまで働いた。そのため、我が子の上に降り積もる雪を払いのけることも出来ないほどの悲惨な状態であったのである。
大正15年(1926年)4月には、婦女会員とともに内職に努め、23坪の遊戯室を造り、県の認可を得て託児所を開所した。
その後も託児数の増加から新しい土地を購入するが、資金は乏しく、地盛りは婦女会員の手で行うという厳しいものであった。
働く女性とその子供たちのためにと、戦中戦後の混乱期を乗り切ってきたくには、昭和56年(1981年)まで伏木保育園の園長を務め、昭和60年(1985年)、創立60周年を見届けるように生涯を閉じた。
経 歴
明治23年(1890年) | 射水郡伏木町(現高岡市伏木)に堀田善右衛門の五女として生まれる |
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大正7年(1918年) | 伏木町婦女会会長となる。 |
大正12年(1923年) | 婦女会員と共に、伏木東一宮念仏寺内で保育事業に着手する。 |
大正14年(1925年) | 生家の廻船問屋「鶴屋」が凋落し、持船や屋敷などすべてを手放す。 |
大正15年(1926年) | 県の認可を得て託児所を開設。 |
昭和2年(1927年) | アメリカからの日米親善使節人形(青い目の人形)を受領する。 |
昭和4年(1929年) | 伏木古国府に第二託児所を開設。 |
昭和8年(1933年) | 伏木一宮(現伏木本町)に新園舎を建設して移転。 |
昭和15年(1940年) | 小児健康相談所・婦人授産所を併設。 |
昭和17年(1942年) | 母子の保健に関する功績により厚生大臣表彰を受ける。 |
昭和26年(1951年) | 三男堀田善衞が芥川賞を受賞。 |
昭和29年(1954年) | 藍綬褒章を受ける。 |
昭和33年(1958年) | 社会福祉法人 伏木保育園の園長となる。 |
昭和39年(1964年) | 勲五等宝冠章を受ける。 |
昭和56年(1981年) | 園長を退職する。 |
昭和60年(1985年) | 伏木保育園創立60周年の記念式典。同年8月、逝去。享年95歳。 |